ある職場で経験した研修を、今でも思い出します。
その研修は、参加者が立ったまま「事務所理念」と「行動指針」を暗唱するところから始まりました。
新入社員も例外なく、まずは声に出して覚えることが教育の第一歩とされ、評価や給与にも直結していたのです。
さらに評価基準の一つには、「毎日、行動指針に沿った発言をしたかどうか」 という項目までありました。
一見すると理念を実践に結びつけようとする工夫に見えますが、実際には「言わされている発言」を増やし、自由な意見や建設的な声を封じてしまうものでした。
その結果、理念は心に根づくどころか、形式的な言葉合わせになってしまいます。
研修そのものの雰囲気も独特でした。代表者は一人だけ椅子に座り、参加者は全員立たされたまま書類を輪読させられる。
私は大手企業や外資系でもさまざまな研修を受けてきましたが、そのような上下関係を誇示するスタイルの講師は見たことがありません。
その姿勢では尊敬を集めることは難しく、理念を「共感」ではなく「従属」のために用いているようにしか映りませんでした。
実際、その違和感は新入社員にも伝わっていたのでしょう。
ある新入社員は、この研修に一度だけ参加した後、すぐに長期休暇を取ってしまいました。
形式だけを重視する研修が、人を育てるどころか、かえって人の心を遠ざけてしまう──そのことを象徴する出来事のように思えます。
私は思い切って、代表にメールで助言しました。
「研修の場は上下を強調するのではなく、共に学ぶ空間であるべきです。形式を押し付けるよりも、理念をどう現場で活かすかを共に考えるほうが、きっと人の心に響きます」と。
しかし、そのメールに返信が来ることはありませんでした。
ここで思い出すのが、『霊界物語』に出てくる言葉です。
「霊主体従(れいしゅたいじゅう)」──魂や心を主にして、形式や欲を従とする生き方。
逆に形ばかりを優先して心を失うことを「体主霊従」と呼びます。
理念の暗唱や発言チェックを重視するやり方は、まさにこの「体主霊従」の姿勢そのものであり、形式に縛られるほど魂の自由さが失われていきます。
本当に大切なのは、理念を声に出して覚えることではなく、共感し、実践することです。
理念は暗唱ではなく、日々の業務や人との関わりを通じて、自分の言葉として語れるようになって初めて意味を持ちます。
行政書士として独立した今、私は形式的な唱和よりも、日々の実務を通じて理念を体現していきたいと考えています。
お客様の声に耳を傾け、共に課題を解決していくとき、そこに初めて理念が息づく。
その積み重ねこそが、信頼される事務所を育てるのだと、今は確信しています。
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